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古いバージョンのシェア残留が開発者の健康に及ぼす悪影響は喫煙のおよそ1000倍よ!
問題となった発言
李 敬宰(イ・キョンジェ)高槻むくげの会
「ただ、在日が、
日本国籍を取るということになると、
天皇制の問題を「どうするのか?」という人がいますが、
外国人がたくさん日本国籍を取ったほうが、
早く天皇制は潰れると思います。
*
というのは、この先も、
どんどん外国系市民が増えます。
*
ある統計では、
100年後には、5人の内の、3人が外国系になるといいます。
*
そうなれば、
日本で、大和民族がマイノリティーになるのです。
*
だから私は、
あと100年生きて、
なんとしても日本人を差別して死にたいです。
これが夢です。
*
そういう社会が来たら、その時に、
天皇なんていうのは、
小数民族の酋長さんみたいなものになります。
*
こうした素晴らしい戦術があるのに、
それを、今の左派のように、
日本国籍を取ったらダメだ」ということをやっていたら、
いつまでたっても、
天皇制は温存されたままではないですか?」

2001年12月14日18時30分~
京都YWCA
在日外国籍市民の参政権を考える連続講座
*
※ 現在、高槻むくげの会の該当ページでは、
この部分は、すべて削除されている。
igi:

Twitter / tmaita77: 社会的需要のある職業の年収分布図。現状はこう。是正できないも …
 Desmond Tutu (デズモンド・ツツ)
 Monday April 29, 2002
 The Guardian (英国の新聞 ザ・ガーディアン)

 我々のアパルトヘイトとのたたかいにおいて、最もよくサポートしてくれたのはユダヤの人々であった。ユダヤ人にとっては、不正義や抑圧や悪と戦っている自由自治の与えられていない者たち、声なき者たちの側につき、支援することは、ほとんど本能的とさえ言えるほどだ。私は、今もそのようなユダヤの人々に強く共鳴している。私は、南アフリカにあるホロコースト・センターの支援者である。私は、イスラエルは、自身の国境を守る権利を持っていると、考える。
 ただ、私の理解を超えており、正しいと思われないことは、イスラエルがその存在を保証するために、他に対して行った行為の内容である。私は、このたび聖地を訪れ、とても深い悲嘆を感じている。それは、まさしく私に南アフリカの我々黒人に起きたことを思い起こさせた。私は、チェックポイントや道路閉鎖地点においてパレスチナ人が受けている屈辱を見た。それは、南アフリカにおいて、若い白人警官たちから移動できないように苦しめられていた、かつての我々黒人の姿そのものだった。
 聖地を訪問した時、私は、エルサレムの英国国教会の主教と車で一緒だった。ユダヤ人入植地を指しながら説明する彼の声は、涙ぐんでいるようだった。私は、イスラエルの人々が願う安全保障について思いを馳せた。しかし、一方で、住んでいた土地と家を奪われたパレスチナの人々の願いはどうなるのだろうか?
 私は、今はイスラエル人たちが占領している家を指して、あそこは以前私たちの家だったとパレスチナの人々が嘆くのに出会った。私は、エルサレムでサビール・エキュメニカル・センター長を勤めるアティーク氏と歩いていた。彼は、「私たちの家はあそこにあったのです。私たちは家を追い出され、そこは今イスラエルのユダヤ人に占拠されている。」と指さした。
 私の心は痛む。我々の記憶はなぜこうも長続きしないのだろうか。ユダヤの兄弟姉妹たちは、彼らがかつて受けた屈辱を忘れてしまったのだろうか?彼らの歴史に起こった、集団懲罰や家屋破壊について、そんなにすぐに忘れてしまえるものなのか?彼らは、その深淵で崇高な宗教的伝統に背を向けてしまったのだろうか?神は、踏みにじられた者たちについて深く配慮されるということを、忘れてしまったのだろうか?
 イスラエルは、他の民族を抑圧するという手段によっては、真の安全を手に入れることはできないだろう。真の平和は、正義のうえに恒久的に築かれるものである。我々は、(パレスチナの)自爆攻撃という暴力を非難する。また、若者たちを憎しみで洗脳するという腐敗を非難する。しかし、我々は、占領地での(イスラエル)軍隊侵入による暴力や、救急車がけが人のところへ行くのさえも妨げるその非人道性をもまた、非難するのである。
 私は、確信を持って予告するが、このところのような軍事行動によっては、決してイスラエルの望む安全保障と平和はもたらされることはないだろう。それはむしろ憎悪をかきたてるだけである。イスラエルには、3つの選択肢が用意されている。すなわち、以前の行き詰まり状態にあともどりするか、パレスチナ人の根絶か、または、正義に基づく平和を築くかである。私が望むのは、もちろん第3の選択であり、イスラエルはすべての占領地域から撤退し、占領地には、存立可能なパレスチナ国家をイスラエルと共存して、どちらにも安全な国境とともに築くという選択肢である。
 我々の南アフリカでは、比較的、平和的移行が行われた。我々の経験した狂気の状態があのように終息したとすれ
ば、世界のどこにおいても同じことが可能なはずである。南アフリカに平和が訪れることが可能であったのだから、この聖地においても必ず可能なはずなのだ。
 アティーク氏は、かつて我々が言ったと同じことを述べている。すなわち「私は、この人々派だとか、あの人々派だとかではない。私は、プロ・ジャスティス(正義を愛する派)であり、プロ・フリーダム(自由を愛する派)である。そして、反不正義派であり、反抑圧派なのだ。」と。しかしながら、 私もみなさんもご存知のように、ここ米国ではイスラエル政府はなぜか台座に奉られた銅像のように崇拝の対象となっており、イスラエル政府を批判すると、即座に「反セム族」的だとすり替え
られ、肩書きを貼られてしまう。まるで、パレスチナ人はセム族ではないかのようだが、もともとパレスチナ人もセム族なのだ。私は、白人グループの行った狂気の沙汰にもかかわらず、「反白人主義者」ではない。イスラエルがアパルトヘイト政府と安全保障手段について共同して仕事をしていたということは、どのようにして生じたのだろうか? 
 ここ米国では、人々は、間違ったことを間違っていると言うことさえ、とても恐れている。それは、ユダヤ人のロビー活動が強力なためである。そう、非常に強力なのだ。しかし、だからどうだと言うのだろう。ここは、神の世界なのだ。我々は、道徳秩序のある宇宙世界に暮らしている。アパルトヘイト政府は、かなり強固だった。しかし、もうそれは存在していな
い。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、ピノチェット、イディ・アミンらはみな強大な権力を持っていたが、最後には彼らは塵と化した。
 不正義と抑圧が永久にはびこることはできない。強固な力を誇る者たちは、神の与えるリトマス試験紙のことを覚えておく必要がある。貧しい者、飢えた者、声なき者たちに対してどのような扱いをしたのか、そのことによって、神の判断が下されるのである。
 我々は、明るく響き渡る声で、イスラエルの政府やパレスチナの人々に対して、こう呼びかけるべきである。和平は可能だ。正義に基づいた和平は可能なのだ、と。我々は、この和平を実現させるために、あらゆるかぎりの手をつくして、支援する。なぜなら、それは、神の夢であるのだから。あなたがたは、兄弟姉妹として、好意的な態度で暮らすことができるだろう。
 
 デズモンド・ツツ氏は、ケープタウン管区元大司教であり、南アフリカの真実と和解委員会の理事長である。このスピーチは、2002年4月、ボストンで開催された「占領終結のための会議」においてなされたものである。これを長くしたもの
が、チャーチタイムス誌の最新版に掲載された。 

 In our struggle against apartheid, the great supporters were Jewish people. They almost instinctively had to be on the side of the disenfranchised, of the voiceless ones, fighting injustice, oppression and evil. I have continued to feel strongly with the Jews. I am patron of a Holocaust centre in South Africa. I believe Israel has a right to secure borders. 
 What is not so understandable, not justified, is what it did to another people to guarantee its existence. I’ve been very deeply distressed in my visit to the Holy Land; it reminded me so much of what happened to us black people in South Africa. I have seen the humiliation of the Palestinians at checkpoints and roadblocks, suffering like us when young white police officers prevented us from moving about
 On one of my visits to the Holy Land I drove to a church with the Anglican bishop in Jerusalem. I could hear tears in his voice as he pointed to Jewish settlements. I thought of the desire of Israelis for security. But what of the  Palestinians who have lost their land and homes?.
 I have experienced Palestinians pointing to what were their homes, now occupied by Jewish Israelis. I was walking with
Canon Naim Ateek (the head of the Sabeel Ecumenical Centre) in Jerusalem. He pointed and said: “Our home was over there. We were driven out of our home; it is now occupied by Israeli Jews.”
 My heart aches. I say why are our memories so short. Have our Jewish sisters and brothers forgotten their humiliation? Have they forgotten the collective punishment, the home demolitions, in their own history so soon? Have they turned their backs on their profound and noble religious traditions? Have they forgotten that God cares deeply about the downtrodden?
 Israel will never get true security and safety through oppressing another people. A true peace can ultimately be built only on justice. We condemn the violence of suicide bombers, and we condemn the corruption of young minds taught hatred; but we also condemn the violence of military incursions in the occupied lands, and the inhumanity that won’t let ambulances reach the injured.
 The military action of recent days, I predict with certainty, will not provide the security and peace Israelis want; it will only intensify the hatred. Israel has three options: revert to the previous stalemated situation; exterminate all Palestinians; or - I hope - to strive for peace based on justice, based on withdrawal from all the occupied territories, and the establishment of a viable Palestinian state on those territories side by side with Israel, both with secure borders.
 We in South Africa had a relatively peaceful transition. If our madness could end as it did, it must be possible to do the same everywhere else in the world. If peace could come to South Africa, surely it can come to the Holy Land?
 My brother Naim Ateek has said what we used to say: “I am not pro-this people or that. I am pro-justice, pro-freedom. I am anti-injustice, anti-oppression.” But you know as well as I do that, somehow, the Israeli government is placed on a pedestal [in the US], and to criticise it is to be immediately dubbed anti-semitic, as if the Palestinians were not semitic. I am not even anti-white, despite the madness of that group. And how did it come about that Israel was collaborating with the apartheid government on security measures?
 People are scared in this country [the US], to say wrong is wrong because the Jewish lobby is powerful - very powerful. Well, so what? For goodness sake, this is God’s world! We live in a moral universe. The apartheid government was very powerful, but today it no longer exists. Hitler, Mussolini, Stalin, Pinochet, Milosevic, and Idi Amin were all powerful, but in the end they bit the dust.
 Injustice and oppression will never prevail. Those who are powerful have to remember the litmus test that God gives to the powerful: what is your treatment of the poor, the hungry, the voiceless? And on the basis of that, God passes judgment.
 We should put out a clarion call to the government of the people of Israel, to the Palestinian people and say: peace is possible, peace based on justice is possible. We will do all we can to assist you to achieve this peace, because it is God’s dream, and you will be able to live amicably together as sisters and brothers.
 Desmond Tutu is the former Archbishop of Cape Town and chairman of South Africa’s Truth and Reconciliation Commission. This address was given at a conference on Ending the Occupation held in Boston, Massachusetts, earlier this month [April 2002]. A longer version appears in the current edition of Church Times.

 翻訳者 浅見靖仁
       小島能美
ap20020429 (via petapeta)